Reoreopaのブログ

思ったこととか、体験したこととかを。

ADHDが薬を飲んで実感すること

こんばんは。れおれおぱです。

 

今日はADHDのお薬の話です。

なんか今日、ふと影響を感じたんですよね(笑)

 

一般的にADHDの薬というとコンサータストラテラになると思いますが、私はストラテラの方を服用しています。

この薬なかなか面白くて、体や感覚に結構違いがでてくるので、効果は実感しやすいです。ストラテラは、簡単に言えばADHDの散漫な集中力を一点に絞る薬です。

 

一番実感するのは、車の運転でしょうか。

車運転する際に、薬を飲んでいない状態だと車の周囲や、近くの信号などにサササッと目まぐるしく注意が散って、安全確認なんかをしています。

これが薬を飲むとかなり違ってきて、車の周囲ではなくとにかく前へ、前へ注意が向くんです。二つ先の信号を見てしまう感じです。

これ、結構危なくてですね、集中力が絞られすぎて、近くへの注意力が逆に減ってしまうんですよね。だから車を運転するときは、極力薬は飲まないようにしています。

逆に、あまり周囲への気遣いがいらなくて、前方の注意をしなければならない高速道路なんかの場合には、ストラテラを飲んでいるほうが安全に運転できたりします。自分で効果と変化を実感しているので、こうした使い分けができているのはいいことなのかなと思いますね。

 

あとはですね、薬を飲まないと、食欲が増すんです(笑)

飲んでないと、家にある食べ物があれもこれもと気になってしまって、色々食べてしまうんですよね。逆に薬を飲んでいるときは、普通に食事を済ませたらあんまりお腹はすきません。

 

こうした実感からわかるように、自分が感じるADHDの症状って不注意ってより、注意がものすごい勢いと範囲でばらまかれてる感じなんですよね(それが不注意ってことなのかも)。こういうのって、結構面白いんです。

 

自分の特性を見つめて、自己理解を深めることは発達障害と一生付き合っていくうえで欠かせないことだなって思います。反省・改善のサイクルもスムーズになりますしね。

あと、やっぱり自分では気づけない所も多分にあるので、第三者からの視点は超助かりますね!ふり返ったり、顧みることは自分の人生をより良くするための投資であり、精神的に余裕を持つためのライフワークになっています。

良かったら、発達障害でない方も、一回自分の能力とか、特性みたいなものを考えてみても面白いかもしれないですね(^_-)-☆

 

 

ADHDだからこそ幸せだって話

こんばんは、れおれおぱです。

 

今回は、私がADHDの診断を貰った時の話をします。

実はこれ、明るい話題です(o^―^o)

 

きっかけは中学二年生のころです。

私は割と自分を客観的に見れるたちで、その当時。

 

自分は異常である

自分は他と違う

理由は分からない

 

この三点に苦しめられていました。なので…

 

母に、自分から精神科に連れて行ってくれと直談判しました!(笑)

当時はほんと、自分は頭がおかしいんだって思っていましたから(笑)

 

で、無事ADHDの診断を頂くわけですが…。

まず、第一に思った感情があります。

 

安堵と「喜び」なんです。

 

だって、そうじゃないですか!?

小学校の時から謎だった自分について、障害だっていう明確な理由が発見されたんです!障害であることが、とーーーーーっても、嬉しかったんです!

障害に救われたんです。

 

なんていいますか、隠されたお宝を見つけたというか。

全く無地の色紙に、カラフルな絵の具が降り注いだと言いますか!

私はこの時に、文字通り人生が始まったのです!

 

ここで何でもないと診断されていたら、私は今でも苦しんでいたと思います。

 

薬も出してもらえたし、それまでのうつ症状も消え、悩みやもやもやも一気に晴れて、目の前に起こることや見える景色が輝いて見えたんですよね。

自分の直面する困難さとか、つらさとか、その多くがしっかり理由が見つかる様になって、自分が納得できるようになりました。

 

 

そりゃ、すべての人がそうなるとは思わないし、辛い思いをする人もいると思います。

でも、こうして診断が救いになるってこともあるんですよね。

 

実のところ、私はADHDであることで(ここまで大分苦労してますが)幸せであるっていうことなんですよねー(^▽^)/

 

発達障害が受け入れられない環境で育つこと②

こんばんは、れおれおぱです。

 

前の記事の続きです。

また少し長くなりますが、お許しください。

 

 

前の記事で触れていなかった

 

家族・学校の先生

 

について触れたいと思います。

 

家族については、その中でも特に祖父と言っても良いと思います。

私の家族の中では祖父の力が強く、祖父は凝り固まった思考がどうしても捨てられず、自身の価値観の外にあるものは絶対に許せないと言う人でした。

 

初めに言いたいです。こういった人は、ADHD当事者の私から見た時に、最も相手にするのが辛い人物です。

○○はこうするべき、こうあるべき、こうしなければというものは、私からすれば最もつらい押しつけでした。また、祖父はそういう人でしたので、私の事を目に見えて他の兄弟と差別するようになりました。

 

こうした人物である祖父から、常日頃からの差別に加え人格を否定するような暴言、出会う度に舌打ちをされると言った行為をされることは、小学生の私には非常に悲しく、苦しかったです。

 

これは、私の祖父が特別ということではないと思います。これほど酷くはなくとも、差別を受けたり、扱いの差が出たり、意識の底で疎ましく思うようなことは、受け取る側からは非常に機敏に感じ取れてしまいます。

願わくば、障害を持った子どもに関わる人が、ほんの少しでも自分を見直してみてくれることを。

 

そして、前回の記事でもお話ししましたが、これも

自分が異常である、自分は異常なんだ、普通じゃないんだといった自己肯定感の欠如、辛い苦しみをより深くするものなのです。

 

最後に、学校についてです。

これは、近年ではかなり改善されていると感じます。

 

私の居た学校では先生方のそういった子供への関心が殆どありませんでした。授業を飛び出して行ってしまう子供、奇声を上げる子供、私のように適応できない子供。そうした子供に個別の対応をせず、すべて一律の教育をしようとする先生方・学校でしたので、学校生活という面ではだれも味方がいない、そして苦しい生活・授業を強要される環境でした。さまざまな授業や活動に適応できない私は、誰も頼ることができない状態で、ただ自分が異常であることを日々感じながら過ごすしかありませんでした。

 

 

さて、しつこいと思われるかもしれませんが、纏めさせてもらいます。

周囲の理解が得られていなければ、障害を持った子どもは攻撃の対象になります。周囲の大人からの差別、そして家族からの精神的な虐待、機能していないあるはずの受け皿。このような環境で育つということは、私にとっては地獄のような日々でした。味方がおらず、人格を否定され、自分が理解できず、しかし異常であることは理解してしまう。

 

こうした環境の中で、どうにか希望を見出せるのは、やはり両親の力だと思います。自分のふとしたしぐさや言葉が、当事者の子どもを深い苦しみに落としてないかを、考えてみてほしいなと思います。

 

発達障害が受け入れられない環境で育つこと①

こんばんは、れおれおぱです。

すみません、初っ端から暗い話題になってしまいますね(;^ω^)

 

今回話すことは、発達障害の受け入れられない環境で育つこと、です。

私はADHD当事者で、これまでに様々な困難・障害とぶつかってきましたが、これが最初で最強の困難だったと思います。

 

と、言うのも、私の育った環境はかなり閉塞的な村環境で、小学校からして村に一つのみ、今ではよく見る支援学級も機能していないような場所でした。

この場所で、私の障壁(つらさの素)となるものは大きく四つありました。

 

家族・クラスメイト・クラスメイトの親・学校の先生 です。

 

家族やクラスメイトの親なんてのは、あまりピンとこない人もいるかもしれませんね。

 

まずは、クラスメイト・クラスメイトの親についてお話しします。

クラスメイトがどう障壁となるかというと、まず真っ先に思い浮かぶのはいじめではないでしょうか。私も多少はその対象となっていたのですが、それ自体はやり返していたりと苦ばかりではありませんでした。これからお話しする内容を見ても分かると思いますが、彼らは別に、何も悪くはないのです。

 

クラスメイトは、言ってしまえばその存在そのものが辛いのです。

彼らの様子を見ていると、ふ…と自分とは全く違う世界で生きていることに気が付きます。考え方も、友達との付き合い方も、忘れ物の少なさも、すべてが私と違う世界に住んでいる人に見え、逆に言えば私だけが皆とは違う場所にいる感覚が常にあるということです。

この経験(ほかにもありますが)を通して、私は徐々に、徐々に自分がおかしい人間であると意識の底に刻まれていくことになります。原因は分からず、ただただ自分が異常であるという現実だけを突き付けられる苦しみは、これ以上ないものでした。

 

 

次に、彼らの親についてお話しします。

こちらは、明確に悪意をもって私の障壁として存在しました。

村唯一の小学校・中学校の支援学級が機能していない(在籍に値する生徒は私以外にも多くいたにもかかわらず)村ですから、そこに住む大人の障害への理解も薄かったのかもしれません。また、時代としても理解の薄さはあったと思います。

 

特に顕著で悪意のあったM君のご両親は、私の行動を誘導し状況証拠を作り出したうえでそれを吹聴したり、多くの子ども達で遊んでいる中で、私が一人になったところを狙って暴言を吐くなど、そうした親たちの中でも最たるものであったと思います。

 

これもやはり、先述したように

自分だけが

自分はなぜ

自分だけが嫌われている

自分だけが異常である

といった、自分が他の人々と全く違う、異常な存在であるかのような意識へと繋がることになります。

 

また、こうした扱いをその周囲がおかしいと思わなかったことも、異常であったなと今では思います。

 

 

こうした環境の要素は、あまりにも自然に、そして残酷に子供の自己肯定感を削り取っていきます。誰にも褒められることはないのに、誰にでも避けられたり、叱られたりする。そして、その原因が分からず、自分が異常な存在であるという意識だけが残るような、耐え難い地獄のような環境です。

 

今ではかなり認知も理解も進んでいると思いますが、もし、つらさを感じている子供がいたら、そうした理解不能な苦しみにさいなまれている可能性を考えてほしいなと思います。

 

長々と長文でしたが、ありがとうございました。

はじめまして

はじめまして。れおれおぱと申します。

 

このブログでは日々感じたことや、思ったこと、思い出したことなんかを残していければと思います。

自己紹介欄にもありますが、発達障害ADHD)当事者であり、現在学生をしています。

周辺の皆さんのおかげで、現在は楽しく生きていられています。その感謝の意味も込めて、もしかしたら誰かの役に立つかもしれないと思ったのもきっかけです。

気持ちのいい話ばかりではないと思いますが、よろしければお付き合いください。