Reoreopaのブログ

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発達障害が受け入れられない環境で育つこと②

こんばんは、れおれおぱです。

 

前の記事の続きです。

また少し長くなりますが、お許しください。

 

 

前の記事で触れていなかった

 

家族・学校の先生

 

について触れたいと思います。

 

家族については、その中でも特に祖父と言っても良いと思います。

私の家族の中では祖父の力が強く、祖父は凝り固まった思考がどうしても捨てられず、自身の価値観の外にあるものは絶対に許せないと言う人でした。

 

初めに言いたいです。こういった人は、ADHD当事者の私から見た時に、最も相手にするのが辛い人物です。

○○はこうするべき、こうあるべき、こうしなければというものは、私からすれば最もつらい押しつけでした。また、祖父はそういう人でしたので、私の事を目に見えて他の兄弟と差別するようになりました。

 

こうした人物である祖父から、常日頃からの差別に加え人格を否定するような暴言、出会う度に舌打ちをされると言った行為をされることは、小学生の私には非常に悲しく、苦しかったです。

 

これは、私の祖父が特別ということではないと思います。これほど酷くはなくとも、差別を受けたり、扱いの差が出たり、意識の底で疎ましく思うようなことは、受け取る側からは非常に機敏に感じ取れてしまいます。

願わくば、障害を持った子どもに関わる人が、ほんの少しでも自分を見直してみてくれることを。

 

そして、前回の記事でもお話ししましたが、これも

自分が異常である、自分は異常なんだ、普通じゃないんだといった自己肯定感の欠如、辛い苦しみをより深くするものなのです。

 

最後に、学校についてです。

これは、近年ではかなり改善されていると感じます。

 

私の居た学校では先生方のそういった子供への関心が殆どありませんでした。授業を飛び出して行ってしまう子供、奇声を上げる子供、私のように適応できない子供。そうした子供に個別の対応をせず、すべて一律の教育をしようとする先生方・学校でしたので、学校生活という面ではだれも味方がいない、そして苦しい生活・授業を強要される環境でした。さまざまな授業や活動に適応できない私は、誰も頼ることができない状態で、ただ自分が異常であることを日々感じながら過ごすしかありませんでした。

 

 

さて、しつこいと思われるかもしれませんが、纏めさせてもらいます。

周囲の理解が得られていなければ、障害を持った子どもは攻撃の対象になります。周囲の大人からの差別、そして家族からの精神的な虐待、機能していないあるはずの受け皿。このような環境で育つということは、私にとっては地獄のような日々でした。味方がおらず、人格を否定され、自分が理解できず、しかし異常であることは理解してしまう。

 

こうした環境の中で、どうにか希望を見出せるのは、やはり両親の力だと思います。自分のふとしたしぐさや言葉が、当事者の子どもを深い苦しみに落としてないかを、考えてみてほしいなと思います。