発達障害が受け入れられない環境で育つこと①
こんばんは、れおれおぱです。
すみません、初っ端から暗い話題になってしまいますね(;^ω^)
今回話すことは、発達障害の受け入れられない環境で育つこと、です。
私はADHD当事者で、これまでに様々な困難・障害とぶつかってきましたが、これが最初で最強の困難だったと思います。
と、言うのも、私の育った環境はかなり閉塞的な村環境で、小学校からして村に一つのみ、今ではよく見る支援学級も機能していないような場所でした。
この場所で、私の障壁(つらさの素)となるものは大きく四つありました。
家族・クラスメイト・クラスメイトの親・学校の先生 です。
家族やクラスメイトの親なんてのは、あまりピンとこない人もいるかもしれませんね。
まずは、クラスメイト・クラスメイトの親についてお話しします。
クラスメイトがどう障壁となるかというと、まず真っ先に思い浮かぶのはいじめではないでしょうか。私も多少はその対象となっていたのですが、それ自体はやり返していたりと苦ばかりではありませんでした。これからお話しする内容を見ても分かると思いますが、彼らは別に、何も悪くはないのです。
クラスメイトは、言ってしまえばその存在そのものが辛いのです。
彼らの様子を見ていると、ふ…と自分とは全く違う世界で生きていることに気が付きます。考え方も、友達との付き合い方も、忘れ物の少なさも、すべてが私と違う世界に住んでいる人に見え、逆に言えば私だけが皆とは違う場所にいる感覚が常にあるということです。
この経験(ほかにもありますが)を通して、私は徐々に、徐々に自分がおかしい人間であると意識の底に刻まれていくことになります。原因は分からず、ただただ自分が異常であるという現実だけを突き付けられる苦しみは、これ以上ないものでした。
次に、彼らの親についてお話しします。
こちらは、明確に悪意をもって私の障壁として存在しました。
村唯一の小学校・中学校の支援学級が機能していない(在籍に値する生徒は私以外にも多くいたにもかかわらず)村ですから、そこに住む大人の障害への理解も薄かったのかもしれません。また、時代としても理解の薄さはあったと思います。
特に顕著で悪意のあったM君のご両親は、私の行動を誘導し状況証拠を作り出したうえでそれを吹聴したり、多くの子ども達で遊んでいる中で、私が一人になったところを狙って暴言を吐くなど、そうした親たちの中でも最たるものであったと思います。
これもやはり、先述したように
自分だけが
自分はなぜ
自分だけが嫌われている
自分だけが異常である
といった、自分が他の人々と全く違う、異常な存在であるかのような意識へと繋がることになります。
また、こうした扱いをその周囲がおかしいと思わなかったことも、異常であったなと今では思います。
こうした環境の要素は、あまりにも自然に、そして残酷に子供の自己肯定感を削り取っていきます。誰にも褒められることはないのに、誰にでも避けられたり、叱られたりする。そして、その原因が分からず、自分が異常な存在であるという意識だけが残るような、耐え難い地獄のような環境です。
今ではかなり認知も理解も進んでいると思いますが、もし、つらさを感じている子供がいたら、そうした理解不能な苦しみにさいなまれている可能性を考えてほしいなと思います。
長々と長文でしたが、ありがとうございました。